性教育リテラシーって何?
性教育リテラシーとは、いったい何を指すのでしょうか。性教育に関するリテラシー、つまり、性教育に関する知識の量と捉えればよいでしょうか。
性教育といえば、学校の保健体育の授業などで扱われていますね。授業中、先生が話している内容に、照れくさいのか、教わる側は半笑いで聞いてしまうようなイメージがあります。皆さんの学生時代ではどうでしたか?私も、照れ笑いを浮かべながら聞くうちの一人だったように思います。しかし、後ほど述べますが、性教育とは「性に関する教育すべて」であって、もっと包括的に捉えてよいものだと言えます。
さて、リテラシーという言葉が使われる昨今ですが、リテラシーの意味を改めて、オンラインの辞書「デジタル大辞泉」で調べてみると、「読み書き能力。また、与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力。応用力。」と記載されていました(※1)。「性教育リテラシー」のリテラシーの意味は、「自分が得た情報や知識を実際に活用できる力」と捉えてよいでしょう。
つまり、性教育リテラシーとは、自分自身が得た、倫理観なども含めた性教育の知識を、いかに自身の実生活で活用できるか、を指しているということです。
日本の性教育の現状
どうでしょう、日本では、例え恋人同士でも、なかなかそういった性に関する自分の価値観や知識を、改まって話したり、共有したりする機会はないのではないでしょうか。なぜかというと、教わる側は「性」、「性教育」をやはりどこか「恥ずかしいもの」だと捉えているからです。
一学生の立場としてイメージする「性教育」と言えば、やはり学校で教わるもののように思えます。特に高校生の頃の経験に立ち返って、保健体育の授業で習ったことを思い返してみると、性交に必要な基本的な知識の他に、エイズや梅毒など、社会的に問題となっている病気のことなども教わった記憶があります。高校生ながらに、「へえ、エイズって怖いなあ」と、漠然と思いました。
「性教育」は、単に生殖に関する教育、とも捉えられがちですが、先述したように、そういった知識を得たうえでどう行動するかまで教えることも、教育において必要な役目だと思います。
例えば、社会的問題の性暴力も、避妊の方法を知らなかったが故の妊娠、コンドームを使用しないことによる性病の感染も、当人が性教育リテラシーを身につけていることによって、避けられるケースがあるかもしれません。これらの問題を減少させるには、性教育を学ぶ人々全体のリテラシーを高めることが必須となるのではないでしょうか。
言い換えれば、そういった教育が進まないことには、性に関する社会的問題も解決しづらいと言えます。しかし、残念ながら海外と比較すると、日本では性教育が疎かな状況といっても過言ではありません。
海外の性教育
では、海外ではどんな性教育が行われているのでしょうか?NHKのweb特集「変わるか 日本の”性教育”」(※2)、NHKハートネットの記事「世界をヒントに考える これからの性教育① ヨーロッパ編」、「世界をヒントに考える これからの性教育② アジア編」を参考にします。
欧米の性教育
まず欧米を見てみます。ドイツの公立高校では、生徒たちは生物の授業で「避妊」について学びます。避妊具、避妊薬を実際に見たり、模型を使った避妊具の付け方まで教えたりしています。
フランスでも、性教育は理科の授業で教えており、生物の生殖の一環として扱っています。避妊の説明も詳しくされ、避妊具やピルの使用や、使用した時の避妊の確率まで教わるようです。また、高校生の教科書では染色体の勉強に加え、道徳だけでなく、科学的な観点からみたLGBTに関する教育も同時に行っています。包括的な性教育が行われているようです。
一方フィンランドでは、脳のホルモンの説明や、脳が快楽を生みだすといった説明もされ、なんと、日本ではタブー視され、教わることのないであろう性的快楽についても教科書に記述があるそうです。
さすが欧米、という感じですね。性に関して抵抗感のない社会基盤が出来ているということでしょうか。特にドイツの記事では、「生徒は照れ笑いなく真剣な表情で学んでいる」と書かれてあり、日本とは対照的で、当然のこととして、性教育を受けていることが分かりました。
アジアの性教育
続いて、アジアの性教育を見てみます。まずは韓国です。韓国では、日本と同じように、複数の教科で(日本であれば、理科と保健体育のように)、性を取り扱っています。また韓国では、性暴力の被害に遭いそうになった時に助けを呼ぶ方法や、緊急時の電話番号なども教わるそうです。LGBTについても取り上げています。
中国は、都市部では、欧米タイプの生物学的な人間の生殖の仕組みを扱っているとのことですが、地域によってまちまちであり、まだ全体的な指導の基盤は確立されていないようです。
台湾を見てみましょう。台湾では、2004年に「ジェンダー平等教育法」が制定され、性教育の指導も、ジェンダー教育の一環として行われているそうです。男女平等の重要性まで含めて学ぶよい機会となっていると言えます。
日本の性教育の二つの課題
ここまで、海外の教育方針を見てきました。では、結局、海外の性教育と比較してみて、日本の性教育では何が遅れていて、何が必要と言えるのでしょうか。
一つ目は、包括的な性教育です。例えば「性」と一口に言っても、フランスや韓国、台湾が取り上げているジェンダーなどのように、社会的な側面からも「性」をとらえることが出来ます。日本では、大学に入ってやっとジェンダーを詳しく学ぶように思います。簡単に社会の授業などで取り上げることはあっても、まだまだ踏み込んだ授業はされていない印象です。例えば、性別が男なのか女なのか、そういった二択の価値観を、相手に当たり前のように押し付けてしまう、或いはステレオタイプな「男だから重いものを持つのは当然」、「女だから化粧はするべきだ」、そういった社会的に蔓延る価値観をそのままにせず、それぞれの意見を聞いて自身の考えをアップデートしていくことも、性教育リテラシーを高めるためには必要なのではないでしょうか。
二つ目は、インターネットの普及した現代社会において必要となってきた、性情報に関するメディアリテラシーの教育です。学生、幼い子供が簡単にスマホを操作できるようになった昨今、誤った性情報や、悪い大人と近づく可能性も同様に、手に入れやすくなっています。ネットに載っているこの情報は間違っている、と判断するためにも、避妊の仕方など、踏み込んだ情報提供があらかじめ必要なのではないでしょうか。ただしこの点は、日本の教育界で「教えることでかえって性への興味がわいてしまうのでは」と度々問題となっているようです。諸外国の例と比較すれば、必ずしもそうとは言えない現状だと思われますが、そういった懸念から、遅々として性教育の基盤がなかなか敷かれないようです。
皆さんに出来ること
さて、日本の現状において、性教育リテラシーをいかに高めるかは、教育基盤、教育方針がしっかり敷かれた学校に運よく通うか、各家庭で性の正しい情報を共有するか、といった方法によってのみ得られることになります。
しかし、ご家庭で教えるにしても、特に倫理観、ジェンダーの知識などは、親御さんとお子さん世代でギャップが起きやすいものだと考えられます。地域や世代差によって浸透していない価値観をアップデートするのは、子供だけでなく、親御さんの知識もアップデートされて然るべきものではないでしょうか。もっと言うと、親子で一緒に分からない単語を学べる環境が整えば、性教育リテラシーも上がっていくのではないか、と思います。
ここまで読んでくださったあなたのように、性教育リテラシーとは何なのか、学ぶ姿勢が必要ということです。大人が継承していくべき教育を、まずは一歩、「知ろう」と思って踏み出すことで、社会はよくなっていくのではないでしょうか。
まとめ
日本の性教育の基盤は諸外国と比べると充実したものとは言えない。その中で私達がまず必要な性教育リテラシーとは、「性に関する基本的な情報だけではなく、性自認、性の多様性、性暴力への防犯意識なども含め、包括的に性をとらえる」こと
性、特にジェンダー、SNSの普及などから、現代社会では「性」、特にジェンダーについて新たな知識の共有が必要となってくる
従来の価値観をアップデートするためには、まず「性教育」とは何なのか、何が足りていないのか、「性教育」とは本当に恥ずかしいことなのか、知ることが必要なのでは?
参考文献
※1: 「コトバンク(デジタル大辞泉) リテラシー」より(最終閲覧日: 2021/08/04)
※2: 「web特集 変わるか日本の”性教育” NHKニュース」より(最終閲覧日: 2021/08/04)
※3: 「世界をヒントに考える これからの性教育① ヨーロッパ編」より(最終閲覧日: 2021/08/04)
※4: 「世界をヒントに考える これからの性教育② アジア編」より(最終閲覧日: 2021/08/04)
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